実はあの野菜も
大宮生まれ?
豊かな食卓を支える
農業のパイオニアが大宮
にいた!

本記事は20周年企画の一環として、大宮地域で活躍するさまざまな方々に、あらためて大宮という街の魅力や目指したい未来についてお聞きするインタビューシリーズです。取材を受けられた人に、次の人をご紹介いただくというルールのもと、プレイヤーからプレイヤーへとバトンをつないでいきます。

今回お話を伺ったのは、日本を代表する種苗会社の一つであるトキタ種苗の三代目、時田巌さんです。日本だけでなく世界の農業を支えているトキタ種苗。あなたが口にした野菜も、トキタ種苗で作られた種から育っているかもしれません!

お話しを聞いた人

お名前

時田巌さん

1967年埼玉県さいたま市生まれ。青山学院大学経営学部経営学科卒業。ニューヨーク・ロチェスター大学サイモン経営大学院修士課程修了。1989年トキタ種苗(株)入社。2005年代表取締役社長に就任。海外事業の強化に力を注ぎ、1998年にインド現地法人TOKITA SEED INDIAを設立。「トマトベリー」を海外展開からスタートし、同品種は2008年、世界最大級の青果展示「FruitLogistica」にて革新・新規性を競うInnovation Award3位入賞(アジア初)。現在、世界各国でトマトベリーの栽培面積を増やしている。同年、日本の種苗メーカーとしては初めてイタリアに現地法人を設立(TOKITA SEMENTI ITALIA)し、欧州展開を本格開始。一方、本場イタリア野菜を日本で栽培しやすいよう改良、食文化に定着させるプロジェクト「GustoItalia(グストイタリア)」にも着手。2011年には、親子2代にわたる夢であった米国に現地法人TOKITA SEED AMERICAを設立し、消費大国の胃袋を日本開発の野菜で狙う。2015年に採種の最重要国であるチリにSEMILLAS TOKITA CHILE Spaを設立。地理や気候を活かし、採種事業発展への大きな足がかりとなった。

ミニトマトの先駆けは大宮から!世界に羽ばたく100年企業

トキタ種苗とはどのような会社なのでしょうか。

野菜の品種改良と、その種の生産・販売を行っています。私の祖父が1917年に創業したので、今年で108周年になります。日本の品種改良技術は、世界でもトップクラスです。野菜を食べない国や民族なんて存在しませんから、今では海外の売上が全体の半分を占めるほどになっています。インドでは人参の4本に1本、キャベツの4個に1個が私たちの種から育てられているんですよ。

毎年秋には、新しい品種を発表するオープンデーを開催しています。種苗を育ててくれる生産者の方々はもちろん、種苗会社の代理店、スーパーのバイヤー、レストランのシェフ、食品メーカーの担当者など、さまざまな方が来場されます。また、野菜を使った料理をレシピサイトやYouTubeで紹介するなど、新しい野菜をより多くの方に知ってもらうための工夫をしています。

トキタ種苗大利根研究農場オープンデー

お父様の跡を継ぎ、社長に就いた時田さん。転機はありましたか?

「いずれ家業を継ぐのだろうな」という思いはありましたが、学生時代は農学ではなく経済学・経営学を学んでいました。私がこの仕事の素晴らしさを実感したのは、入社しインドへ出張したときのことです。

ある村で、村人総出で歓迎を受けたんです。理由を尋ねると、「あなたたちの作った種のおかげで、こんなに立派なキャベツができた。おかげで子供を学校に通わせることができる」と。その言葉を聞いた時、父や祖父がやってきたこの仕事の意義を改めて感じました。私も本気でこの仕事に取り組もうと決意し、そこから野菜に関する勉強を始めました。

具体的には、どのような野菜の品種改良を行われていますか?

弊社の主力商品は、ミニトマトやかぼちゃ、ブロッコリー、ほうれん草、ネギなどです。とくに1984年に発表したミニトマト「サンチェリー」は日本のミニトマトの先駆けとなりました。日本で流通しているミニトマトの半分近くは弊社の種から作られているんですよ。

また、15年ほど前から、地域の生産者やシェフと協力してイタリア野菜を日本に定着させるプロジェクト「グストイタリア」を始めました。まだ割合としてはそれほど大きくありませんが、さいたま市内を中心に少しずつ輪が広がっています。

今、一番のおすすめは「とろ~り旨なす」。皮が白く、加熱するととろけるような食感になる新しいナスです。今年から飲食チェーン店でもメニューに採用される予定の、注目品種なんですよ。

ナスは、私たちも味というよりは形や栽培のしやすさなどに重点を置いて品種改良を進めていました。しかし、「とろ~り旨なす」は全く別物。食べていただければ、その違いがはっきりとわかると思います。見かけたらぜひ一度食べてみてください。

50年で大きく成長した大宮。その原動力は駅にあり

トキタ種苗が大宮に移転し50年。当時は景色も随分違ったのでしょうね。

そうですね。春日部市で創業した弊社は、1973年に本社を大宮へ移転しました。当時の大宮周辺はまだ開発が進んでおらず、弊社の周りも砂利道しかありませんでした。裏手には雑木林が広がり、夏には社員がスイカを差し入れてくれたり、食べ終わったスイカの皮を置いておくとカブトムシが集まってきたり。自然豊かな環境でした。

移転の決め手は大宮駅にあったと聞いています。新幹線が停車するという利便性は、事業を展開する上で大きなメリットになりますから。しかし、これほど大きな街になるとは思いませんでしたね。今でも駅を見ると「この駅があったから今のトキタ種苗があるんだ」と感慨深いものがあります。

1973年、本社を大宮へ移転した当時

現在の大宮には、どのような印象をお持ちですか?

大宮を訪れる人たちは、「大宮ってすごい街だね」と驚きます。それは、駅が街の印象を大きく左右しているからだと思います。乗り入れる路線も増えましたし、今では多くの商業施設が立ち並び、活気あふれる街へと変貌を遂げました。

とくに、エキュートができて駅が明るくなったのは、街にとって大きな変化でしたね。駅が発展することで、街全体が活気に満ち溢れる。そういった意味で、大宮駅は私にとって自慢の存在です。

時田さん、ありがとうございました。では、次にインタビューする方のご指名をお願いします。

埼玉県内でイタリア料理店を数多く経営する北康信さんをご紹介します。弊社がイタリア野菜の品種開発に乗り出したとき、真っ先に問い合わせをくれたのが北さんでした。「本場と同じ野菜でイタリア料理を作りたい」という話から、生産者を募り、さいたま市内での生産・流通体制を確立することができました。今では「さいたまヨーロッパ野菜研究会」を発足し、ともにヨーロッパ野菜の普及と地産地消に取り組む仲間でもあります。