重ねられてきた大宮の
歴史を、未来へつなぐ。

本記事は20周年企画の一環として、大宮地域で活躍するさまざまな方々に、あらためて大宮という街の魅力や目指したい未来についてお聞きするインタビューシリーズです。取材を受けられた人に、次の人をご紹介いただくというルールのもと、プレイヤーからプレイヤーへとバトンをつないでいきます。

2028年には創建2500年におよぶ歴史をもつといわれ、大いなる宮居として大宮の地名の由来にもなった武蔵一宮 氷川神社。今回は権禰宜の遠藤胤也さんに地域を昔から見守ってきた神社のことから、大宮のために今取り組んでいらっしゃることまで、たくさんお話をお聞きしました。

お話しを聞いた人

お名前

遠藤胤也さん

昭和35年7月19日生まれ
山形県西置賜郡小国町鎮座する上杉藩祈願所大宮子易両神社宮司家長男として生まれる。
父が春日大社の神職として奉職している関係で春日野の神域で育つ、小学2年生より雅楽をならい始め春日大社を始め東大寺、興福寺、法隆寺等で雅楽を奉仕する。
國學院大學に入学より宮内庁楽部楽長上近正氏に師事、卒業後氷川神社に奉職し元宮内庁楽師、芸大教授、芸術院会員芝祐靖氏に師事東京楽所に所属し国立劇場、カーネギーホール、大使館等で雅楽の演奏をする。笛、左舞、琵琶を担当。

ホタルをもう一度、大宮の夏の風物詩に。

境内のあちらこちらに水場がありますね。ここは水と深い関係があるとお聞きしました。

氷川神社における御祭神の三柱のうちの一柱は、治水の神様でもあるスサノオノミコトなんですよ。蛇の池という場所が氷川神社の原点で、昔は蛇の池からたわわに湧く水がこのあたりを潤していたんです。神社から向かって左側の見沼区は、古い時代には「神沼」や「御沼」と書いて「みぬま」と呼ばれていました。水が豊富な豊かな土地だからこそ、稲作が盛んになり、豊かな恵みに感謝するお祭りや豊作を祈念するお祭りが行われるようになりました。これが氷川神社のはじまりです。2028年には氷川神社が創建されてから2500年になるんですが、はるか昔から水の恩恵を受けてきた大宮は名前の通り、神様がいる場所として大切にされてきた場所なんです。

蛇の池は今でも境内に残っていますが、昔はもっと勢い良く、こんこんと湧いていたそうです。水が絶えず流れている場所ですから、この地域の方たちの気持ちを、実に清々しくしていたのだと思います。綺麗な水がふんだんに流れていたので、昔は、大宮の名物といえばホタルとじゅんさいだったんですよ。それだけではなくて、春は桜、夏はホタル、秋は紅葉、冬は雪景色と1年を通してたくさんの見どころのあるところです。

ホタルもじゅんさいも、水が綺麗なところならではの名物ですね。

江戸時代には紀州のお殿様がホタルを鑑賞にいらっしゃったり、明治に入ってからは、氷川神社の境内でホタルを捕り、天皇様に献上していたという記録が残っています。ホタルの姿が見えなくなったのは、戦後の急激な宅地化による影響だそうです。ここ数年、ホタルをもう一度復活させようと、地元の有志の方々と一緒に境内の池の浄化やホタルの養殖に取り組んでいます。6月前半には鑑賞会も行っていて、境内の水路に放たれた1,000匹のホタルを見に、3万人以上もの方がいらっしゃいますよ。大宮の夏といえば「ホタル」ともう一度言われるようになればうれしいですね。

今も昔も、地域の方々のための場所でありつづける。

遠藤さんにとって、大宮の地域は、どんな場所ですか?

昔ながらのものと、最新のものが共存する場所だと思います。江戸時代には、神社から向かって左の見沼区一帯が穀倉地帯で、そこで取れたお米は見沼用水を使って江戸の町まで運ばれていたそうです。見沼田んぼの光景は、ずっと昔から変わらない風景なんです。明治になると、大宮に鉄道が敷かれ、大宮の製糸工場で紡がれた絹糸が大宮駅近くの荷物の集積所に集めれました。それは今のさいたま新都心あたりですね。それらの絹糸は横浜港へ、アメリカのシアトルへと輸出されていました。日本のシルクは世界でも一級品だったんですよ。

大宮地方の俯瞰図。よく見ると、大宮駅を挟むように2つの製糸工場があるのがわかる。

やがてアメリカ大陸横断鉄道であるグレートノーザン鉄道ができると、ワシントンやニューヨークまで大宮の絹糸が運ばれていました。人口6,000人ほどの小さな街だったシアトルが貿易で成功し、今や大都市になっているのは、大宮のご利益が鉄道と船で運ばれ、アメリカまで届いたからじゃないかと、私は密かに思っています。
大宮自体も、鉄道ができたことで、大いに発展してきました。それでも、見沼田んぼのように昔ながらのものが残っている。今では秋になると、収穫を目前に控え、黄金の光を放つ見沼田んぼの背景に、近代の象徴である高層ビルや鉄道が見えるんです。それなのに、京都や鎌倉のように観光地化されておらず、非常に住みやすい場所です。

氷川神社にも観光客はあまりいないんですか?

氷川神社も観光地ってわけじゃないんですよ。平日、土日問わず地域の方々が散歩がてらお越しになることが多いんです。大宮の方は礼儀正しく、鳥居に向かって必ず一礼をされています。他の神社の宮司さんがいらっしゃると、「氷川神社に参拝される方はお行儀が良い」とよくお話しされていますね。今も昔も変わらず、お子さんの健やかな成長とか、地域の方々のいろんな願いに寄り添う、祈りの場所なんだと感じています。

実は地域の方たちのために、エキュート大宮もなにか一緒にできたらいいなと思ってるんです。

エキュート大宮さんではいろんなものが販売されていますよね。私もよく、お弁当や柿の葉寿司を買っています。すぐ売り切れてしまうお弁当なんかは、買えると嬉しくなりますよね。でも、大宮の名物が少ないのは寂しいです。ホタルを見に来た人たちが大宮に来たら買うような、お土産になるものがあれば良いなと思います。今回お話ししたことをきっかけに、大宮ならではの名物を一緒につくりましょう!

遠藤さん、ありがとうございました。では、次にインタビューする方のご指名をお願いします。

大宮アルシェの中島祥雄さんをご紹介します。大宮ガチャの仕掛け人でもあるんですが、斬新な方で、大宮のことをいつも一番に考えてくださっている方なんです。氷川神社にも非常に貢献してくださっている方なんですよ。